2008年01月27日

先輩スカウト

先輩スカウトの存在はあったほうがいい。

それは間違いないと思う。

ところが今のうちのVS隊のスカウト、特に高1のスカウトには
先輩と呼べるスカウトがいない。

いや、もちろんある時期には先輩は存在したが、彼らがBS隊で2年目
を迎えるころには退団したり、活動に来なかったりで実質的に先輩の背中
を追うことはできなくなっていた。

VS隊に上進した際にはその上進式の一週間前にそれまでVS隊に登録
していた2名の先輩スカウトが相次いで退団した。
それまでもほぼ活動には出ていなから実質はあまり変わらないのだが
ともあれ、そんな事情で彼らには先輩スカウトがいない。

私のようにスカウト経験のない指導者にはこの先輩がいない、ということの
意味が体験的に理解しずらい。

不遜な言い方だが「ダメな先輩ならいないほうがいいじゃん」と思ってしまう。

ところが、スカウトの立場からするとやはり先輩がいたらなぁ、と思うこと
は結構あるらしい。

活動そのものは自分達が頑張ればなんとかなる。
でも、雑談とかリクレーションの時間に先輩の存在があったらなぁ、と
思うことが多いらしい。


先日、うちの議長ともう一人のスカウトとミーティングが終わりある店で
コーヒーを飲みながら雑談していた。

「あれっ?」という声がして振返ると私の後ろに元スカウトの一人が
立っていた。

昨年、ある国立難関大学に合格したうちのOBである。
BSではそれなりにがんばったスカウトである。 最終的には菊スカウトに
進級した。

ところがなにがどうしたのか知らないが、その授与式に本人は来なかった。
その直後VSに上進したが、(この年に私はBS隊の指導者になった)
ほぼ活動はなかった。 地区のフラッグ隊に参加しそちらの活動は一年間つづけたことは知っている。
そのフラッグ隊経由の参加で13NJにも参加した。

それまでの団の歴史のなかではそれなりに優秀なスカウトだった。
だが、VSとしての活動はほぼないし、アワード取得もない。
隊の体制のとばっちりを受けた、ともいえるだが団行事への参加もほぼ
なかった。 最近はRSへの登録は保護者からの申し出でしていたがそれにしても
登録だけでここ数年どんな場面だろうと顔を見ることはなかったしこんどの登録では非継続になる。

そんな「元」スカウトが先輩スカウトとして姿を現した。
その場に居合わせたスカウト達は議長は顔は覚えていたが、もう一人は顔も
記憶がないと言い切った。

それから、その場で私たちがPJの経過について話をしていたのを受けて『自分の経験』を話し始めた。
だが、このスカウトにPJの履歴は無い。 アワード取得もないしVS章はとったらしいが、そのレポートは団には残っていない。

その話を聞きながら私は、そのスカウトには悪いが非常に不快な気分に
なった。 まともな活動をしていなかった「元」スカウトが虚構を取り混ぜながら経歴をひけらかす、そのことが不快だった。
活動に魅力を感じずに活動から足が遠のいたのならそれはそれでいい。
だが、それならば何故、「先輩面」して後輩の前で風呂敷を広げたがるのか?
本人はアドバイスをしているつもりかもしれないが、その「元」スカウトがやっていた
スカウティングとは似ても似つかないことを今のうちのスカウトは実施している。

懐かしさでお茶でも一緒に、ならばそれでいい。
たとえある時期とはいえ同じ団で活動した仲間である。 懐かしい話に華を咲かせよう。
だが、「自分は富士は取る気はなかったから」とまずいい訳をしてから
訳のわからん自慢話をひけらかすというのは受け入れられない。


実は以前にやはりVS時代、RS時代(今でもRS年代だが)に何も
してこなかったOB(現隊指導者)が『先輩としてアドバイスしたい』と
言い出して隊長(オレだ)にことわりもなしにVSスカウトに召集をかけていた。

ソッコーで本人に連絡して「先輩が『たまにはお茶でもおごってやる』といって活動帰りにコーヒースタンドかどこかで皆にジュースでも振舞ってしばしおしゃべりならば是非おねがいしたいが、ミーティングであるのなら隊長承認なしでは困る」と話した。

とたんにその召集を中止してそれ以来VS隊に寄り付かなくなった。


活動らしい活動ができていなかった世代からみたら今の隊はたしかに
うらやましいだろう。 事実、前述のOBはうちの今のVS隊をみて
「もういちどベンチャーをやり直したい」と口にした。

しかし、先輩面をすることを第一義としていまのスカウトの前には立って
ほしくない。


やはり先輩にはその後姿で後輩を引っ張っていってほしいのである。
posted by It's classified. at 15:41| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日

日韓フォーラム

日韓フォーラムのことを書きます。

とはいっても、ここは「裏」ですからすこしやぶにらみで書きます。


今回の参加資格はあんまりハードル高くないです。
年齢制限が中2以上VS年代まで。 級、章についての制限なし。
アワードの制限もなし。

なんでBSまで資格を広げるのでしょうか?

自分が担当しているから・・・ではなく、これはその内容を考えても
VSのネタでしょうに。

自分を取り巻く世界や環境を見渡し、それについて論じる。
視点の明らかに違う外国スカウトとその視点の差異を確認しつつ
協調できるポイントを探しながらテーマに沿う自分達のアプローチ
を言葉にしていく。

出来ない、とは言わないがVS年代ならでは、の企画ではなかろうか?

最近のSAJのイベントはどうしてこうも年齢前倒しなのだろうか?

NJに小学生が当たり前に参加できるようになって久しい。

昭和30年代の前半にちーやんが語った夜話集に「ぐんぃてうかす」
としてNJに級を上げ底して年少者を参加させる愚について書かれているが
50年たっても一向に解消されないどころか、当たり前のことになっている。

中には非常に聡明で今回の日韓フォーラムに参加しても十分やれるBSスカウト
がいるかもしれないし、その存在までは否定しないがそれでもVSとして
のステイタスを含めてVSスカウトに限定することはできないのだろうか?

ジャンボリーの小学生はBS隊というくくりで考えたら制約をつけることが難しいのかもしれないが、
例えばどんなに優秀なBSスカウトでも日本ベンチャーへの参加資格はありませんからね。

と、SAJ側の参加資格の設定にひとこと苦言を呈したうえで、もっと問題はスカウトを送り出す原隊隊長の見識。

今回の参加は正確には「参加申込み」ではなく県連が「推薦」することになっている。
実際には県連が個々のスカウトを掌握してはいないだろうから地区の推薦に任せることになり、その具体的な行動は団(隊)からの推薦をうけて、となるわけだ。

ようするに隊が(隊長が)このスカウトを推薦します、といって送り出しているわけである。

本当に推薦できるだけのスカウトを送り出したのか?

もう毎度のことだが、あるスカウトは1週間前に隊長から「行って来い」と言われてなんだかわかんないままやってきていた。
たまたまそこそこの人数枠のある県連からだったからよかったものの1名枠の県連だったらこんなスカウトの為に参加できなくなったスカウトがいた、と考えたら目もあてられない。

だいたい1週間前にってことは申込み時点では隊長の独断でスカウトの意向確認もしていない、ってこと。
いったいそれでどうして本人が名誉を感じて参加することができるのだろうか?

また、冒頭で書いたBSスカウトの推薦も、とある団ではなんと同一のBS隊から中2のスカウトを5名送り込んできた。
その隊長は「資格が中2だったからなんでもいいから、と中2スカウト全員をもうしこんだ」と少しも悪びれるところがない。
まるで出した者勝ち、人数制限に引っかかったところはざまぁみろ、と言わんばかりの振る舞い。  それでいて、参加してきたスカウトはフォーラムの間中自隊の5名で固まって埋没しているし、たまたまその中の1名が開会式の宣言をすることになってしまい、まともに宣言できなかったというオマケまでつく。

代表スカウトの名誉もへったくれもあったものではない。


もうひとつ、揚げ足をとるが、今うえで書いた宣言である。
日本スカウトと韓国スカウトの代表がそれぞれ今回のフォーラムに
臨む姿勢を声たからかに宣言する、まさに名誉ある役どころである。

もちろん韓国隊は4隊のなかで選抜を繰り返し、選ばれたスカウトはその名誉をかみ締めながら用意万端おこたりなくその時を迎えた。

対して日本隊は・・・・前述のとおり中2のBS、それも2級スカウトだったのだが(おどろくことに初級スカウトまで参加していたのであるが)その代表者の選抜がなんともトホホな選抜方法だった。

直前に行われていたアイスブレイクのゲームのいちばん負けたスカウトに「罰ゲーム」としてその宣誓をアサインしたのである。
それを聞いた時に私はあいた口がふさがらなかった。
そしてそれを指示したのはSAJの委員であった。 この委員はLTであり研修所などでもそれなりの役どころを歴任している。
私自身このLTが主任をつとめる研修に参加し、なかなかの所員ぶりに感心していたので、なんとも残念でならないのだが・・・。

いったい宣誓の役どころというのは「罰ゲーム」でやらされるような
「やりたくない」「不名誉」な役どころなのだろうか?

普通に考えれば全国から「推薦」されてきたスカウト達である。
誰が宣誓する? と水を向ければ我先に立候補し、その役を争ったにちがいない。

1万歩ゆずって時間の関係でじゃんけんなり、ゲームなりの結果でアサインするとしても、せめて「勝った」ものに担わせるのがギリギリのスジではなかろうか?

挙句に付け焼刃の練習を経て臨んだ宣誓本番ではつっかえるは、噛むは、では選ばれなかったスカウトの無念はいかばかりか。


表のブログで隊指導者のテイタラクを書き連ねた。
だが、開設側もあまり人のことをいえないのだ、という
まさに、「この程度の隊指導者にこの程度の連盟役員」というなんとも
トホホな現実をみてしまうことになったのである。
posted by It's classified. at 23:43| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月12日

BS関係者の2極化

ここ数年のBS関係者を見ていて思うことがある。

いっとくけど、いやいややっている指導者、関係者や名前の登録だけで
活動にまるで顔もださない連中は端から度外視しているからね。

一応、活動に対しては熱意をもって参加している指導者、関係者に
限っての話。


ひとつの方向はBS活動を特殊なものとせず、社会の中で普遍性を持たせ
青少年育成の大きな流れのひとつとして社会に容認される状態を目指そう、
と考えている方々。

事実の問題としてBSの活動、組織はある種、外側からは伺いしれない部分があり
その独自性と先鋭性から一部では「宗教」のように認識されかねない部分がある。 だからこそ熱心な方々も存在するし独自の文化をもって100年続いてきた、ともいえるわけだが、昨今の多様化した価値観を容認する社会に対応すべく、そして今後もこの活動を社会に埋没させないように、とより社会とのインターフェイス部分での普遍化をはかり特殊性が場合によっては薄めることで認知をひろめよう、としているように思える。

ひとつの例としては指導者研修の門戸を広げ、参加形態のバリエーションを増やし、先鋭性も持たない層までも取り込む方向がある。
あるいは「社会のニーズ」として活動の方向性を「子育て支援」の方向に大きく転換することも念頭にあるような運動そのものの転換、試行を考えている方々もいるようだ。

そう考えるとSAJのH19年度の重点事業計画としてさんざん物議をかもしたBSーVSの統合に始まった制度改革の話やCSを学齢から、BVSを学齢前の2年間とする部門年齢の改革などもこうした流れにそったもの、といえる。

電脳三指業界でもこちらに属する論客というのも数名、すぐにHNが思い浮かぶ。


それに対して、普遍性を否定はしないまでもBS活動の独自性の保持にこそ心血をそそぎ、その純度を上げることで社会の認知を高め活動の持続を実現しよう、と考える方々がいる。
ともするとスカウト原理主義、といわれてしまう方がの多くはこちらに属することになるだろう。

社会通念とは若干の距離が仮にあるとしてもそこにこそスカウトとしてのアイデンティティを感じることもあるようだ。

どちらがいいか、というものではないと思うのだがひとつ私も残念でならないことがある。


前者の方々のBS活動の愛し方、もわかるのである。
社会に受け入れられて、スカウトの数が確保できてこその運動だろう、といえばそれはその通りだろう。 そして社会に受け入れられるために活動の独自性が薄められ、研修の特異性が薄れ、多くの選択肢の一つとして認識されるものとなってもいたし方ないではないか。 という現実に即した議論。

でも、昭和50年代までの日本では、あるいは現在でも国によってはスカウト活動は、その独自性によって、スカウトとしての特異性によって認知され、求められ、活動人数を増やし、そのステイタスを保持してきたはずなのである。

いつのまにかスカウトの独自性は社会に受け入れられないものになって
しまったのだろうか。

そこがものすごく残念なのだ。

社会の変容がその根底にあることは論を待たないが、その変容にあわせて独自性を薄めることは「迎合」ではないのか?
ほんとうにこの独自性は時代遅れの歓迎されないものに堕してしまったのか?
 
いまの社会の状態、そしてその向かう方向に対する危惧は多く語られて
いる。 社会教育力、家庭教育力が著しく下がっていることへの懸念も語られて久しい。

だからこそ、そうした社会への「警鐘」の意味も含めてこの運動の独自性を今こそ再検証して再構築しその立ち位置を確かにすることこそ求められているのではないか。

そう思うのだがどうだろうか?


すでに脳みそに毒がまわってしまっただけなのだろうか?
posted by It's classified. at 13:20| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

指導者の変遷

随分としばらくぶりの更新になりました。

基本的にはむかっ腹のたった理不尽なことについてこちらで
書き殴ろうと思っていたのですが、昨年の締めくくりは比較的
平穏に過ぎた、ということかも知れません。

もちろん問題がないわけではないのですが......


で、今回は隊指導者について、です。

きっかけはまたしてもMixiでWBの3泊4日の研修参加が個人的に
非常に難しい、 これだけまとまった時間をつくれる者だけが参加できる
というのはいささか理不尽ではないか、という書込みに端を発する。

この書込みをされた方自身は、休暇云々以前に身体的に3日に一度は病院に通院しないわけには行かない事情が最大の懸案のようであり(おそらくは
透析かなにかではないか、と推察する)、活動にかける情熱は基本的にある
ようなので、同情を禁じえないし、県コミないしは所長にかけあって
なんとか方法を模索していただきたい、と思うところだ。

問題なのはその書込みに対してのコメントにあった。

多くのコメントは「知識をえるだけ」ではないので4日間という時間は
どうしても必要である、とか、すぐにはムリでも長期計画ででも休暇を
捻出することを模索して欲しいとかの意見であったのだが、一人だけ
非常に気になったコメントがあった。

以前に指導者講習会でWBへの参加を勧められた参加者が「いそがしくて」
と応えたのにたいして「忙しいのは皆同じです。」と返された、というコメントに反応して

>忙しいのは皆一緒ってのは大反対ですね!
>受けたい人を拒むものはどうなのかなぁって思います!
>そもそも参加できる時に参加で全然いいと思うんですけど、
>仕事を休んでまでスカウト活動をする意味はあるのかよく思います。
>全参加自体を改正すべき。
>ボーイスカウトを最優先すべきだと考える人が多すぎだと思います。

というコメントです。

実はこの手の発言はよく耳にします。
週末のみの参加で対応できるように単位制にしろ、という意見も後を絶ちません。

ここは「裏」ですから言いたいことを言いますが
上記のように考えている方は無理やりこの業界にいる必然性がないのだと
思います。

青少年育成には熱意があるのかもしれません。
ボランティア精神にも富んでいるのかもしれません。
でも、ここはボーイスカウト運動の世界です。 自分にとっての合理性を
通したいのであれば別のフィールドを探したほうがお互いの為ではないかと思います。


生業ではない、俸給を得ているわけではない、という意味では確かに
社会奉仕なのかもしれませんが、その意識だけでは難しいのだと、最近
つくづく思います。

水戸のSIMはこの活動参加を「自分の趣味」だと断言しました。
私も以前に研修で所員から「この活動を趣味にするな」と言われましたが
その意味はわからないでは有りませんが趣味であるなら自分の金と時間
を注ぎ込んでも納得できる、という意味ではそれなりに意味のある解釈
なのかもしれない、と思っています。
趣味であるから「人に言われてやるのではない」ともいえるし。


最近、本当に「いやいや」とまでは言わないが「やむを得ず」隊指導者を
しているのか、と思うような指導者が本当に目につくようになった。

身内のことを言うのもどうか、と思うがうちの団では盆暮というがGWと
旧盆と暮正月は活動を入れないのが不文律だった。

確かに地方に実家のある保護者が多く、そうした時期はスカウトを連れて
帰省することも多く集まりがよろしくない、ということもあっただろう。
だが、私が指導者になってから団会議なでどたまに耳にしたのは
「GWくらいお休みにしようよ〜。」
「お盆くらい休ませてよ〜」
「正月はいろいろ出かけたいからさぁ〜」
という台詞だった。

結局は隊指導者が活動に出るよりも休養したり、家族旅行したり、を優先
したいというのが本音だったのだ。

だから私はBS隊長時代でさえ年末年始の活動は入れられなかったし
夏キャンプはいつも週末しか参加出来ない、と悪びれもせず言い放つ副長に
いらだちながらも旧盆の前の週に仕事を抱えたまま野営地に赴いた。
多くの指導者の休暇がそろうように、とあえて旧盆にキャンプを設定する団
もあるというのに。

ようやく私はこうした頚木から解き放たれた。
VS隊では副長は登録はあるが実質、私ひとりで切り盛りしているので
他の指導者の都合を斟酌する必要がなくなった。
スカウトも高校生年代で必ずしも家族の都合に引きずられずに予定をたて
ることができるようになった。

そこで、この正月に待望の初日の出隊集会を実施した。
野営場に元旦の朝5:00に集合して初詣、と初日の出のセレモニー、雑煮を
喰って新年の決意を誓う。

思いのほかスカウトも食いついてきた。
せっかくの機会だから、と団内すべての部門と指導者に通知して参加を呼びかけた。

BVSは・・・まあ、ここは仕方がないね。
CSは・・・熱意のある副長がスカウト、指導者全員に告知して参加を募ってくれた。
まあ、参加はなかったけどね。
BSは・・・・隊長に団会議で伝えているがとうとうスカウトにも副長にも
告知すらしなかった。

結局、当日は前団委員長だけが顔を出してくれた。

もちろん、帰省で不在だったかたも多く居るだろう。
たまの休日で旅行に出かけた家庭もあるだろう。
でも、どこにも出かけなかった指導者、スカウトも多くいたはずなのだ。

結局、この状態がいまのうちの団を端的にあらわしているのだと思う。


「そこまではできないよね。」

団会議で他の隊指導者からよく聞く台詞だ。

隊長がこうの台詞を吐いた瞬間にこの活動は、このダイナミックであるはずの
ムーブメントはその場で停止するのだ、ということに気づいていない。

指導者が自分の都合を優先した瞬間にスカウト達は零れていってしまうのだ
ということに気づいていない。

「ボランティアなんだからさぁ」

これもよく聞く台詞。
みんなボランティアを「奉仕」とか「無給の、善意の活動」と訳しているらしい。

ボランティアの訳は「志願」「志願者」である。

隊指導者が本当にボランティアであるのならば皆は「望んでその任についている」
はずなのである。

望んでついた任について、どうしてこうもずさんなことを平気でできるのだろうか?


結局、指導者講習(研修)のハードルを下げたってずさんな気持ちで参加
する層が増えるだけ、って考えてしまう。

かえって、ハードルを堅持することで「生半可」の気持ちでの参加者の参加を
妨げている、と考えれば意味があるのだと思うけどね。

勿論、そうして様々な代償を払って(『犠牲』じゃないからね)参加するのだから
研修所の所員や講師のレベルというのは本気でどうにかしてもらわないと
浮かばれないのは当然だけどね。

私は幸いなことに「これはハズレだ」という研修にはあたったことがない。

最初のBS研は私自身がそうした判断をできるようなレベルになかったので
ちょっとだけ微妙だが、でもまずまずだった記憶がある。

それ以降の研修所、実修所はいい研修だった。
それでも失礼ながら所員の中に1〜2名づつ、「ちょっとね」という方が必ず
混じっていたのはご愛嬌と言うものだろうね。


今、K県連ではWB研修のハードルを高める試行をしている。
既にBS研では実施されたが、従来の課題研修を変更して事前研修を1泊2日で実施し、
其処への参加がWBへの参加条件になっている。
T連盟では以前からそのようになっていた、とも聞いたけど。


指導者は本当にこの活動の『要』だからね。


だから、団会議でそうした大人の都合や言い訳を聞くのがすごく苦痛に
なってきている。

来年度に向けてどこかから隊長を引っ張ってくることも考えたほうがいいのかな、と
試案し始めている今日このごろである。
posted by It's classified. at 18:20| ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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